さーて、ついに明日は〈 ランド・オブ・ザ・デッド 〉が発売ですよー。 いつもならすでに手にしているはずの良い子のみんなも、この寒波のお陰で宅配便まだかもしれないねー。 我慢して明日以降まで待っとくんだよー。オジサンは、ネタバレするかも知れないけどーーー (ていうかスル、読まないほうがいい)。
で、極論からいうと・・・、「死者の国」を名乗っていながらも、常に写っているのはやはり人間だった。100パーセント人間の物語。
思い起こしてみれば、常に人の行動を映し出しているシリーズなのだ。過去2作品のラストを思い出してみよう。 〈ドーン〜 〉では、自殺を思いとどまってこの先どうなるか分からないが夜明けの空に飛び立つ。 積極的という訳でもないが、とりあえず今は生きてみようと決意するピーター。〈 デイ〜 〉では、 身を挺するの意味を強烈に教えてくれたミゲル、敵対する軍人たちや死者から逃れて、無人島のビーチで平穏に生きていくことを喜ぶ人たち (ボツ原稿には、その島の沖に死者の乗った船が現れるというくだりがあったらしい。それじゃスナイダー版と一緒じゃないの、 ボツって良かった)。あっ、〈 ナイト〜 〉は、 行動というより人間のエゴや業のほうが強調されてるんで、意図的に割愛。そ・そして・・・、
本作〈 ランド〜 〉では、「如何に生きるか」という、より一層のコミットを感じる。 死者に蹂躙され廃墟と化した町に居残り再び町を再建しようとする者たち、そしてまた彼らと別れて少数精鋭で北の新天地を目指す者たち。 袂を分かつことにはなったが、「生きていく」という意味において、それぞれ積極的な意思を感じさせる。人間ばかりではない、 死者の側にも言える。戦いの最中、死者に噛まれてしまい、ゾンビ確定となったチョロ(レグザイモ)は、ゾンビになることを自ら選択し、 死してなお権力者カウフマン(ホッパー)を追い続ける。ゾンビリーダーのビッグダディは、 仲間を統率し人間たちの象徴"タワー"を見事制圧するが、統率者はそこに安住できない。次の目標を探さなければ!なぜなら彼は、 死者を導くものであるから("LAND"には、"主"や"キリスト"って意味合いもあるんだよね)。人間の側も死者の側も、 「如何に行動し、如何に生き、如何に死ぬのか!」を自分で選択し、 その選択を自らの意思としてまっとうしてゆく強さが滲み出ている。だからこそ、北に向かうデッド・レコニング号の旅立ちは、 打ち上げ花火で祝福されるのだ。
ここいら辺がね、同じ21世紀のゾンビ映画でも、スナイダー版には欠けてると思うわけさ。 確かに一晩で世界が崩壊していたというあの場面には鳥肌が立ったんだ。しかし、同じような装甲車を持ち出してきてみても、 生き延びることに見も蓋もないあの醜態にはあのラストしかないわけで・・・。創造したものと模倣したものの間には、 大きな隔たりがあったとしかいえない。
ところで、クリスマスですなあ。皆さんのうちにはサンタさんは来るのかな?うちには30年ぶりに来てますぞ。マチェット (ブッシュを切り開いたりする時に使う刃渡り60センチほどのナイフ)を振り回す極めて危険なサンタさんが。

ちなみに30年前のお姿はと言えば・・・。

でも観るよ、御大ロメオの答えをきっちり観ないとね。