2005年12月26日

**破壊と再生なの?〈 DOA FINAL 〉**

 さて、今年も残すところあと僅か。長い話を一言でいうと、今週こっきり。

 そんな枕とはまったく関係なく、今回は中途半端に古い邦画などを。和製ブレードランナーの呼び声も高い(?) 哀川翔・竹内力ダブル主演の〈DOA  Final 〉だーーー。

 

 

 って、言ってみたって皆知らんじゃろう、そうじゃろう。あれですよアレ。哀川翔・ 竹内力の2人が対決する奴の3作目(とは言ってみたものの2作目はスピンオフっぽい)。

 「これ観てるよ」って人はかなり少なそうなんで、例によってgoo映画のあらすじをペーストしておく。 例によってgoo映画のあらすじは結末までこってり記述してあるが、 あらすじ読んだって実際観てみなきゃ分からないシロモノなんで全くもって無問題。

西暦2346年。一度滅びた世界を再建した後、 人口調整の為に全市民に生殖機能を失わせる薬の服用を強要した独裁者・ウーの支配する横浜に、ひとりの流れ者・リョウがやって来た。 戦闘用レプリカントである彼は、体制に反対し自由を求める革命家・フォンたちに協力してウー暗殺作戦に力を貸すことになるが、 そんな彼の前にウーの腹心警官のホンダが立ち塞がった。革命家たち、 そして見つけ次第廃棄処分することになっているレプリカント取り締まりに躍起になるホンダ。だが実は、 彼もまたウーの命によって作られたロボットだったのである。そのことをウーに知らされたホンダは、彼に反旗を翻すことを決意。その時、 リョウとホンダは運命の糸に手繰り寄せられるように対峙し??合体!DOA2001型ロボットとなって、ウー暗殺へ飛び立つのだった。

 とりあえずは、リョウ(哀川翔)は戦闘用レプリカントである。 これは劇中でも述べられているんで疑いようもない。で、〈 ブレード・ランナー 〉では、 わざと気にさわるような質問をしてそのときの瞳孔の具合でレプリカントかどうかを見分けるフォークト・ カンプフなる危険なテスト(ただでさえ危険なレプリカントを情緒不安定にしてどうするの?)を行っていたが、 もうそんなことはしなくても宜しい。あなたの周りに「あっ、こいつ怪しいなあ」って奴がいたら、タバコを勧めてみよう。もし、 レプリカントなら・・・

DOA_FINAL-1

 一気吸いするはずだ!

 これで確実に見分けられる。ひょっとすると、只肺活量の多い人って可能性も否めないが・・・。 三池監督は、この一気吸いがいたくお気に入りのご様子で、一度ならず二度― それも二度目は全く必然性がない―も登場さている。これはオリジナルですから、胸張っていてもいいのですけどねェ・・・。

 というのも、この映画こんな町並みの世界なんだぜ。

DOA_FINAL-0

 この町並みが西暦2346年の横浜ですよ。「ネットが星を覆う」ような時代かと思ったよ。挙句に、 空には「OFF WORLD」ならぬ「DOA」の宣伝飛行船まで飛んでる。「OFF WORLD」は宇宙探索の志願者を募るものだったから、 「DOA」を募るって言うのは文字通りDOA2001型志願者を募集しているのか?なんと危険な!

 数式に表せば、(バカ×バカ)のバカ乗ぐらいの天文学的バカ映画なのだ。 ちなみに最初のバカが哀川翔、その次が竹内力で、 最後に三池崇史回乗じなさいってことだ。解が想像つかないでしょ。いや誤解なさらぬように。 ボクは別にけなしているわけではない。

 三池監督は、ふざけているようにも見えていやしかし本気なのである。〈ブレラン〉は、 デッカードロイというキャラ立ちまくりの2人の対決を、 こともあろうにロイの寿命という消化不良の幕引きで終わらせてしまった。そんなことでは、 レプリカントとしてのブレードランナー捜査班としてのデッカードの面目が立たないではないか。 いずれ自分はレプリカントであるとデッカードが気付くのであれば、戦いの中で気付くべきだったのではないか?その線だと〈 カンフー・ ハッスル 〉になってしまいそうなので、チョッピリ不安は不安だけれども。それに対してDOAは哀川翔・ 竹内力の2人である。一作目にバズーカvs元気玉 (言い換えるとカメバズーカvs孫悟空)で地球崩壊を招いた2人である。戦後、この2人が再び出会って、 己の本能に従って戦わないはずはないし、事実死力を尽くして(香港ワイヤーアクションの美味しいとこを独り占めで)雌雄を決しようとする。 まあ、そこは大人の事情もあってか、合体→メカガメラだけ) へのトランスフォームとなるのだが、純然たる破壊欲求に従う破壊王が、 たかだか横浜の市長であるウーの暗殺に飛び立つということはどういうことなのか?劇中に表される単なる「許せねえ」 という感情だけではあるまい。元来、破壊の神は同時に再生の神であった。 古い因習を壊してことはすなわち新しい秩序をもたらすということでもある。そこに輪をかけて、アノ姿である。あの頭部の形は、 繁栄をもたらすものとして古来より信仰の対象となった形だ。元々は産めよ増やせよという意味から、五穀豊穣の域にまで拡大された記号である。 三池監督は、「新しいパラダイムを獲得せよ」というメッセージを発しているのではないか!

 

 と、かなり持ち上げてはみたけど、ラストの歌で得心いった。ただ、ふざけてただけなのね・・・。

 

posted by 森と海 at 22:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 三池崇史
この記事へのコメント
もう三池イズムがこれでもかというほどにてんこもりな作品だった。つうかあとにも先にもこーゆうの出てこないと思うしもし出てくるとしたらそれはやっぱり三池さん?という気がする映画だよね(笑)
Posted by tonbori at 2005年12月27日 00:57
おっしゃる通り!中途半端にふ造けているのであれば怒りもするけど、ここまで来ると薄ら笑いを・かべて肯定するしかなくなるものね。
Posted by 森と海 at 2005年12月27日 21:03
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