最近、ふと思い立ってデジタルリマスターされた〈 ウルトラQ 〉を見直している。なんてことない、特撮への渇きがそうさせた。
確かに古いしテレビシリーズということもあって、予算の乏しさは否めない。 ロケでどうにかなりそうなダンプトラックが土砂を捨てているだけの場面さえ、わざわざミニチュアワーク。 今の時代から考えるとかえって高くつきそうだが、当時の円谷プロでは、この方が安上がりだったのだろう。いわゆる怪獣メインであるが、 怪獣が出てくる場所は野っ原だったり、山の中だったりして、町並みは割と少ない。町のミニチュアセットは手が係りすぎて、 そう毎週という訳にはいかなかったことは理解できる。ウルトラマンシリーズなどの場合、 露骨に街中に巨人格闘用の広場が用意してあったもの。
そんな安さ爆発な〈 ウルトラQ 〉ではあるが、なかなかどうして侮れない。監遜は故円谷英二氏である。
第7話:SOS富士山(岩石怪獣ゴルゴス登場)は、火山活動の兆候が見られる富士山に、
例によって、万城目・由利子・一平の3人が赴く。サイドストーリーとして、4歳の時に村海で行方不明となり、
野生児として成長した青年の話を織り交ぜつつ、村海にゴルゴス登場となり、主役級3人も逃げ惑うことになる。
ストーリーは頭が水平になるくらい捻ってしまうものだし、前述の通り村海ということで破族のカタルシスもない。その上、
ゴルゴス自体も魅力に乏しく、こいつの動きといえば唸ってただ這うだけ。怪獣モノとしては、正直退屈である。
しかしアピールしなければならない得意の精巧なミニチュアのビルが存在しないお陰で、カメラワークは極めて大胆である。 カメラの高さを人の目線に固定し、頭上の何もない空間には迫ってくるゴルゴスの頭部が画面からはみ出すほどの大きさで写しだされる。 本来スーツメーションでは、アップは厳禁(質感や細部のアラが移りやすい)なのだが、 モノクロであるため質感がつかみにくいこともプラスに働いている。広角のレンズを通したかのような、 肉眼ではあり得ない被写界深度の深さであるが、ゴルゴスの巨大さはこういうカットだけで表されている。また、 それと対面にあたる怪獣の肩越しに逃げる人々を追いかけるショットも存在する。四足怪獣の肩越しという「何処から見てるの?」という神の目線 (笑)ではあるが、これまた2つの被写体を一つの画面に収めることで大きさの対比を見せている。
昭和41年といえば、東宝では〈 モスラ 〉や〈 世界大戦争 〉が作られた年である。どちらも特技監督は円谷英二その人であった。 これ以降だんだんと東宝怪獣映画は、複数の怪獣を登場させて「怪獣プロレス」と揶揄された対決物へとシフトしてゆき、一方の円谷プロも 〈ウルトラマン 〉シリーズを始める。思えば、怪獣が単体で登場し、感嘆と畏怖の入り混じったSOW(sense of wonder)な画面はこの頃が境であったのかもしれない。
そんなときにQとかマン、セブンとかも凄いけど新マンも結構気張っている回多し。
皆が言ってることなんだけど、何回東京壊滅させれば気がすむのでしょうか?
ウルトラQというと、子供の頃は今ひとつだと思っていましたが怪獣の出ない回にも傑作が数多くありますね〜。
『ウルトラQ』はガキんちょの頃よく見てて、怖かったですよ。オープニングのギギギギした感じと、石坂浩ニのナレーションと共に結構印象に残っています。人工生命M1号とか、半魚人とか、ケムール人とか、怪獣よりはそっちが印象かなあ。あとペギラとかガラモンは目が眠そうなのが印象に残ってます(^^;。
タッコングといえば「怪獣音頭」の歌詞で「タコによく似たタッコング」と歌われていますが、それはちょっと違うのではないかと(^^;。
シーモンス・シーゴラス・ビーコン・ムルチ・ベムスターと新マンまでは怪獣を覚えてますねー。それ以降のシリーズはさっぱり覚えてない。作品が低年齢化したのかはたまた自分が成長したためなのか?
>サンタパパさま
ま・さ・に・アンバランス・ゾーン!
邦版ミステリー・ゾーンを目指していた最初の企画の名残でしょうね。あのナレーションは。