2006年01月20日

**〈 父と暮らせば 〉想像できる不幸と想像できない不幸**

 黒木和雄監督、戦争三部作最終章にして、ボク的には死者との邂逅物第二弾、この間(死国) からなんだか続いている。

 なんの予備知識なしで見たが、「なーんだか妙に芝居っぽいなあぁ。2人芝居で舞台で演れんじゃないの?」 なんてこと思っていたのだが、エンドクレジットを見て納得。井上ひさし氏の戯曲が元なのね。でもってググってみると、 こまつ座でキャストを替えつつロングランしている作品とのこと。 すでに物語としては定評のあるもので、これでツマラナク撮ろうものなら監督としては命取り?

 

 テーマがテーマだけに面白いといっては不遜だが、四六時中、悲惨だ不憫だ!なんて言っている物語は、見ているほうが疲れてしまうもので。とりあえずボクは、 映画を修練とか人間性を高める目的で見ている訳ではないということを宣言しとく。

 本作は、もちろん反戦なかでもピカに蹂躙された広島の数多くあったであろう不幸を綴っている。その日から数日間については、 皆さんご存知とは思うがウィキペディアあたりを掘れば、 学術的にも詳しいところがあるので、興味のある方はドーぞ。ただし、気が重ーくなること必至です。で、物語はそこから3年後、 戦争も終わって落ち着きを取り戻しかけていた時分の一人暮らしの女性のうちの中で始まる。

 原爆の悲惨さは、資料を読むと、言ったようにどうしようもないくらい胸にずっしりと重いものが圧し掛かる感じはある。しかし、 それはあくまで想像であって、体験できるようなシロモノではない。 安易に解ったようなフリの出来るような甘っちょろいものではないと思うのですよ。単に悲惨な(モロ)場面を作り上げて、 「こんなに酷いことしたんですよ」と言ってみたって、センセーショナルな話題となるだけで、 ただただ被害に遭われた方や遺族に対して失礼千万。井上ひさし氏はそんなバカな戯曲は書かなかったし、 もちろん黒木監督だってそんなアプローチは避けた。

 想像しようにも追いつかない不幸に対し、父と娘の死別(近親者との別れ)という想像の出来る不幸に焦点を絞って追っていくことで、 誰もが深く感じ入ることの出来る作品という形をとっている。これなら、誰もが自分に置き換えて(感情移入して)、入り込むことが出来る。 その結果、ここで示される不幸を招いた根源(ピカ)に対し、深い拒絶の意を固めることが可能だ。まさに意思を伝えようとする映画だ。

 ただし、商業ベースではそれだけでは拡がらない。父竹造(原田芳雄)と娘美津江(宮沢りえ)の会話は小気味よく、滑稽ですらある。 また美津江の広島の訛りは可愛らしくもある。「おとったん」だもの。ボクは広島弁と来たら 「昌三。わっしゃ生涯忘れん。」とか「オヤジのやつ、芋引きさらって」 のような漢気マンマンなものしか知らんかったけ、こんなに愛らしい言葉とはついぞ知らなんだ。ゆるしてつかーさい。っ冗談はさておき、 笑わせたり、悲しませたりして、感情を揺さぶりつづける芝居っぽい映画でありました。って全然まとめになってない(苦笑)。文章も支離滅裂。 思い出すだけでも、感情を振り回されてます。ダメだコリャ白旗。

 

posted by 森と海 at 23:07 | Comment(2) | TrackBack(0) | Movie(邦)
この記事へのコメント
私も三部作の中でこれはなかなか書けないでいますわ。
「まさに意思を伝えようとする映画」というは至言ですな。そうだと思います。
私は幼少の頃岩国に住んでいて、文化圏が広島だったので広島弁は懐かしいですが、どちらかというと漢気マンマンな言葉なのは確かです(^^;。
Posted by サンタパパ at 2006年01月22日 09:43
いやほんと、「2度とあのような戦争があってはいけないと思います」などと通り一辺倒ならいくらでも書けるんですけどねー。
Posted by 森と海 at 2006年01月22日 23:46
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