2009年07月02日

**〈グラン・トリノ〉はイーストウッドじゃなくちゃ駄目**

 もう大抵の所は公開終了だよね。

 もう待ってたんだよ。どこもかしこも賞賛しまくっているなかで、水を差すようなこと言って注目浴びようなどという中2病認定されたくないからさ。そりゃあ、素晴らしくいい映画だったよ。もうね、これ以上無いっていうぐらい納得出来る出来(シャレのつもりはない)。だけど、「オスカー候補か?」って聞かれたら、「凡庸な作品」て答えるしかないじゃない。これでオスカー受賞したとしたら、〈LOTR〉三部作まとめて受賞と同じくらい失礼な話でしょ。

 基本的にイーストウッド作品は嫌いではないけど、諸手を挙げて絶賛はなぜかしにくいのね、ボク的には。これら作品のあちらこちらに「イーストウッドの仕掛けた企み・思惑」が臭ってくるからかもしれない。

 脚本について。

 ニック・シェンクは、「イーストウッドは台詞の一言も変えなかった」という出典。変えたのは、コワルスキーが太平洋戦争ではなくて朝鮮戦争からの帰還兵という設定と、場所をミネソタからデトロイトに変えたぐらい。なるほど、大戦のときの帰還兵なら、1990〜2000ぐらいの話にしないとオカシイやーね。それと、イーストウッド自身が朝鮮戦争に出兵しているから、イーストウッドが演じるうえでもしっくりくるってことだろう。思い出してみれば、いくらフォードの工員とはいえ極端にトヨタ車を憎む姿は、敵国の車だからだよね。

 イーストウッド演じるウォルト・コワルスキーは、名前からしてポーランド系移民の2世もしくは3世でですね。今でこそ米国市民1000万人弱を擁しメインストリームに名を連ねる民族ですが、歴史上ポーランド移民の多くは、19世紀末の祖国分割時に新大陸に逃げ延びた農民です。コワルスキーという姓からすると、単なる農民ではなく、農具を扱う鍛冶屋であったであろうと推測されます。アメリカに移住してきた当初、ポーランド移民たちは共同体を作り、その中だけで生きた。決して溶け込む努力などなく。その結果、米国に住みながら米語を喋れずポーランド語のみで暮らすものも多かったという。ポーランド人のステレオタイプ「マヌケ」もここら辺から来ているのだと思う。職業といえば農場か鉱山といった肉体労働が主であったらしい。炭鉱がさびれ始めたとき、モータリゼーションの発展と相まって自動車産業に職を求めてシフトしたと考えるのは容易いことだ。自動車産業従事者の人種分布を扱った資料でもほしいところ。

 いまでこそメインストリームにいるポーランド系も、その昔は後発のアジア系と同じく閉鎖的なコミュニティから始まったということです。さて、その隣人のモン族はというと、ベトナム戦争終結後、米国に移住してきた4万人強。歴史的にも数的にも最後発の移民ということで今だ主流には合流できず、劇中でもコミュニティ頼りの生活を送っている。

 米国の歴史は移民の歴史といわれる通り(ダレも言ってない?)、移住してきては主流に合流し続けることを繰り返して、今の姿になっているのです。劇中ラストの警官の中にアフリカ系が居たでしょ。未だに差別は残っているとは言え、アフリカ系も長い年月をかけて合流していったという歴史がそこで見えるわけですよ(今や大統領が出現していますけど、小浜さんは出が別格だから(笑)。つまり、ニック・シェンクの意図したホンは、幾度となく繰り替えされてきた移民の合流の一部を描こうとしたものですよ。ポーリッシュ移民が乗り越えてきたことをモン族移民も乗り越えていかなくてはという通過儀礼を劇的に書いたという。言ってみれば平凡でしょ。既に見たような手垢の付いたテーマです。

 イーストウッド監督は、このホンを読むなり自身の主演で作ることを決めたようです。モチロン贖罪がテーマになっていて、老齢な男が主人公とあれば、それは願ったり叶ったり。しかしそこには冷静な読みもあったことでしょう。「観客は過去の自分の役柄に重ね合わせて」コワルスキーを見るということを。ボクだって見ている間に何度か「泣けるゼ(山田康雄風)」って台詞が頭の中を巡りましたもの。この作品は、過去のイーストウッド出演作込みでこそ、面白みのある作品という非常に珍しいものです。普通、出演作一作ごとにリセットされるものなのにねえ。最初に、『〈LOTR〉三部作まとめて』と言ったのはそういうこと。オスカーを手にしていなかったピージャクならそれも功労賞的に有りですけど、イーストウッドの場合は別です。イーストウッドに対しても失礼だし、歴史込みで受賞なんてアカデミーの権威さえも落としかねません。個人的には既に落ちまくっていると思ってますが、権威は(笑。

 すっごく面白いし、感動もするし、事実ヒットもしたけど、佳作が妥当だと思うんですよ。イーストウッド以外の役者が演じたら格段落ちますからね、間違いなく。

posted by 森と海 at 23:24 | Comment(5) | TrackBack(0) | Movie(米)
この記事へのコメント
や、水を差すようなことを書いた者ですが・・・笑
中二病でもいいですけど、まああれはあれで素直な感想だったんです・・・。個人的に男がひどい目に合うのはOK、女の子ならNG・・・ま、実際は女性の方がタフなんでしょうけど、笑

この記事を読んで少し解せたところもあります。その実績は知っていても、私はイーストウッドをずっと観てきたわけではないので(観た作品も少ない、若い頃のは特に)。だから森と海さんの言うところの「イーストウッド以外の役者が演じたら」のような見方になったのかも。
Posted by Cardhu at 2009年07月03日 23:55
その気持ちも分かるなあ、いや本当に。
それでもクリントファンには堪らんくすぐりでもうね、OKなんですよ(苦笑)
反対に言えばそんなにクリントファンって多かったのかとちょっと驚いた。
イオージマ2部作で距離が近づいたのかもしんないけれど。
あと、『チェンジリング』も観なくちゃと思っている今日この頃です。
Posted by tonbori at 2009年07月04日 00:18
>Cardhuサマ
イーストウッドが自身にはドMなのは仰るとおり。ですが、女優にはドSの気がありますね。みんな散々なことになってます。やっぱ計算かなあ?

>tonboriサマ
この間ユリイカ読んでたら、監督作としては〈チェインジリング〉が最重要課題だそうな(黒沢清氏が言ってた)。見逃してるんで、ボクもビデオ待ちです。
Posted by 森と海 at 2009年07月05日 21:47
「文句なしの傑作」「なんでこれがアカデミー賞にノミネートすらされない?」と書いた身としては、思わず言葉に詰まりますが(笑)、おっしゃりたいことはよくわかります。
真っ先に『センチメンタル・アドベンチャー』や『ハートブレイク・リッジ/勝利の戦場』が浮かぶ自分だからこそ、そう思えたと。
でも、じぁ今のハリウッドで誰がこんなにも静かで繊細で美しい映画を撮れるかというと、やっぱり浮かばないんですよね〜。
Posted by micchii at 2009年07月15日 13:13
あははは、すいません。
イーストウッド監督にはいつもしたたかなネライらしきものを感じてしまいますので、ちとカライのかもしれません。まあ、アンチ巨人の人と同じようなものです。
じゃあ、同じ設定同じ製作者で主演だけ変えても、同じように感動できるでしょうか?ってことがこのエントリーの発端でした。
Posted by 森と海 at 2009年07月15日 21:27
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバック
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。