「いろいろな意味で50年以降の事象を詰め込みまくってみました。」とは、ポン・ ジュノ監督は言ってないですけどそうとしかとれませんよ。コレは実際。
で、〈 グエムル 漢江の怪物 〉だ。鯖(鯔か鱸じゃないの?)
の突然変異体のこの怪物の初登場シーンは、 〈 アリゲーター 〉
のパーティー乱入を当社比200%
増しで再現したようにも見え、「日常に現れる驚愕の瞬間」度数は非常に高い。
悪いが邦画にコレだけの、ごった返しの阿鼻驚嘆パニックは見られない。日本の怪物は、大きすぎるもしくは小さすぎるのだ。
等身大では恐怖に陥れるのは一人か二人。体長ン十メートルでは多数を怯えさせることこそ可能だが、
いかんせんデカイので発見が早く、怪物と人との距離が遠くなる。この点だけでもすでに邦画関係者は脱帽するしかないと思う。
故深作監督が暖めていた〈 ヒグマドン 〉が完成していたら・・・と悔しがるしかないのだよ。怪物の造型は素晴らしいが、
勘違いしている人もいるようなので一言だけ。
WATA社が参加しているといってもWATA社が請け負ったのはあくまで模型制作であって、CG製作ではない
(CGはオーファネージ)。そう、カンドゥ(ソン・ガンボ)のこじ開ける奴の口などのアップは、まさにWATAの仕事。
ゴグリを創造したWATA DIGITALはなぜか参加していない。実写版〈 エヴァ 〉が忙しかったのだろうか?
![M0020054_theriver_30[W500-] M0020054_theriver_30[W500-]](http://areed.up.seesaa.net//image/img_20060905T070716401.jpg)
しかし素晴らしい怪物さんが闊歩する世界は時間にして僅か。それ以外の部分は延々と、大きな組織に蹂躙され続ける小さな家族・ 個人という描写が続く。警察が、国軍が、役所が、在韓米軍が、それぞれ組織の道理とメンツのみに終始し、 戦い続ける小さな家族を無視しあまつさえその行動の邪魔をする。検問の役所の管理官や、親父ヒボン(ピョン・ヒボン) の身柄を確保する国軍や、在韓米軍の科学者に対しては、韓国人でなくても怒りを覚えるであろう。「誰も話を聞いてくれない!」 というカンドゥの叫びは、空しく響いてくる。まあ、基本的にコミュニケーション能力の欠如した己を呪えという意見もありますが(笑。
大きな組織がアテにならないことを悟った家族(パーティ)は、
怪物の虜となった愛すべき姫を自らの力で救い出すべく行動に出る。体力回復の呪文(左参照)を使える老練な魔法使いは早々と倒れ、
残ったのはエルフの弓使いと愚かな2人の人間のみ。パーティにおいてしばし正しい方向に修正する賢者がいない。
賢者と姫は同一人物で、賢者は捕われの身であったのだ。←※ここまで思いつき※
「日常に垂れてくる大きな影」というのは、80年代に多感な10代を過ごしたボン・ジュノの一貫したテーマらしく、 前作〈 殺人の追憶 〉でさえ夜間灯火管制の引かれた軍事政権下の暗い夜道で起こる事件に関するものであった。本作ではより推し進めて、 大きな集団・組織が民衆の意向を無視し暗躍する姿を、離散した家族の戦いとして描いている。 この人は気持ちの上では反体制の人だと思うがいかがだろうか?在韓米軍から役所に至るまで、 公権力は民衆の味方ではないと言い切っているようにも見えるのだ。 全共闘にシンパシーを感じた幾人かの日本人監督たちと非常に近い位置にいるのかもしれないが、 そのものズバリを描こうとした団塊の監督たちとは違い、趣向を変えつつその背景に溶け込ませている。 主人公カンドゥを愚かな民として描くことで、反権の臭いを和らげているのだ。
韓国の興行成績を塗り替える大ヒットというこの作品を、かの国の人々はどう見ているのだろう?単に面白い映画? それとも実生活に振り返る部分を感じて?こういう映画がヒットするということは集団への帰属意識が意外に低いように思える。ただし役人の話は信じなくてもニュースは全面的に受け入れるという姿が度々登場するが、 それはちょっとねぇー。今や共産主義圏であれ資本主義圏であれ、 メディアとはそのメディアの所属するサイドにとって都合のよい情報だけを選別して流しつづけるというのが、世界的認識なんだけどな。あっ、 これは皮肉なのかな?!
外見ではなく動きやキャラクターのことみたいですが。
たぶん、クィディッチのところを作った連中らしいっぽいです。WATA DIGITALは忙しかったのか?それとも高かったのか?知りませんけど・・・(笑。
>micchiiサマ
竹中直人とブシェミなんて言われても、抽象的過ぎて雲を掴むような話ですなあ。どう動かせばいいっちゅーねん?意地悪だジュノ。
大爆笑しながら納得しました。さすが鋭いです。そうですよ、普通はここに1人賢者がいるはずなのに、姫が賢者だったなんて〜!
そんなヒョンソが居なくなったというのは混乱の元ですよ。家族はもとより、暗に投影していると思われる社会に対しても。
ただ、その写真のシーンですが、いつの間にかヒョンソが映りこんでいるのはまさにパーティの絆の要であるというその象徴かな、と思いました。
あとは、学生運動により民主化を一定レベルで達成させたつもりのナミルがフリーターでアル中というところが皮肉であり、かつクライマックスの火炎瓶での攻撃と、支援者はホームレスであるところはカタルシスであり、反対にかつての学生運動の同志が金目当てで彼を売ろうとするところなんてのも皮肉だったなぁ。しかも電話会社なんていう日本でも「公社」だった、おそらく韓国でも保守性の高い安定企業に勤めている連中が、ですからね。
わたくし、一度だけですが韓国に、ソウルに行ったことがあります。ハンガンというのはソウル市内をデンと貫いているあの川だな〜くらいの感覚はあるので、そういう点では韓国人、特にソウル市民は大喜びで見たのだろうと想像します。
ただ、どこかでどなたかが書いていましたが、これが「多摩川」だったり「荒川」だったりして、われわれは乗って楽しめるか、となると微妙な気もしますけれども。
*わたくしのブログの方の「グエムル」記事は、かなりスケルトン小説風にいたしましたので、お暇な折にご覧ください。*
ボン・ジュノは、LOTRを意識していたと思うのですよ。だからペ・ドゥナ=オーランド・ブルームという方程式が成り立つのではないかと。そうなるとピョン・ヒボンは誰なのかというと、バルログと共に消えたイアン・マッケランなのかな。そんなトコです。
体力回復の場面の演出には、ボン・ジュノの非凡さを思い知らされました。並みの監督なら、あそこでああいう風にヒョンソを登場させる勇気はないと思います。驚きました。
でも前回の『殺人の追憶』では鋭いエッジだったのが今回はナタでゴンゴンとたたいて最後は突き刺すという感じしない?
あとLOTRのパーティつながりでなんでもペ・ドゥナこの後韓国のレゴラスって言われるようになったんだとか。なのでそのあたりは意識下にはあったかも知れないッス。
荒れる元なんで、ひとんちでは書けないけど。そう考えると怪物の親は死んだけど、まだ息子が残っているというラストにも見えるのね。