2006年09月10日

**ひいては我々が望んだことなのだよ〈 ノー・マンズ・ランド 〉**

 先だって、tonbori堂さんとこで触れられていた〈 ノー・マンズ・ランド 〉を観る。 公開当時もしくはレンタル解禁時には気になっていながら見逃していた作品だ。忘れ物って誰にもあるものだ。

 ズバリ、ボスニア・ ヘルツェゴビナ紛争のごく局地的な戦争の話。そんでもって、ダニス・タノヴィッチ監督も役者(ブランコ・ジュリッチ,レネ・ ビトラヤツ)も御当地の方々。ちょっぴりヤバクないんでないの?まだ風化していないというか、先のサッカー・ ワールドカップを見ていた人には実感できると思うが、セルビア・モンテネグロも無くなってしまうのだ。まだまだ続いている。

 

 ボスニア軍とセルビア軍の中間地点にある塹壕で、ボスニア軍の2人の兵(ブービートラップの囮に仕立て上げられて一人は動けず) とセルビア新兵が、互いに負傷して顔合わせ。そこに国連保護軍が到着して・・・って話。ボスニア紛争についてここで語れるほど、 現代史に強くはないので、かかる紛争の要因等については、各自宿題としておく。「七つの国境、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、 三つの宗教、二つの文字、一つの国家」と言われた国は、紛争の玉手箱だったのだ。

 監督のダニス・タノヴィッチは、戦時中もドキュメンタリとしてキャメラを回していた筋金入り。戦場を目の当たりにしてきた人らしく、 台詞はひそひそ声、砲撃はあくまで轟音なので、夜中に見る分には注意されたい。さもすると台詞を聞こうとしてボリュームを上げていると、 不意の砲撃にアラエッサッサのご近所迷惑ということにもなりかねないので。

 どちらが最初に仕掛けたにせよ、一兵卆レベルでは自分のみにふりかかる災厄こそが、その紛争を裁定する判断材料。ボスニア兵チキ (ブランコ・ジュリッチ)もセルビア兵ニノ(レネ・ビトラヤツ)もお互いをなじりない、共通の困難な状況下でも手を組むことはありえない。 どういう状況下であろうとも2人は敵なのだ。状況の複雑さに両軍とも国連防護軍を呼び、傍観を良しとしない国連軍マルシャン軍曹は、 マスコミの力も借りて3人を助けようとする。背中の下にジャンプ型マインを仕掛けられて動けないボスニア兵ツェラ(フィリプ・ ショヴァゴヴィッチ)を救出するために、国連防護軍は爆発物処理班を現場に派遣するが・・・。

 「みんな仲良くしましょう!」と言うのは容易い。ましてボクらは平和ボケした大きなお友達レベルだから。 歴史的に仲良く出来ないものを無理やり纏めていたのは1人のカリスマの力だった。そのカリスマの死後、 諸先進国の国々はこうなることはうすうす感づいていたはず。しかし内政不干渉の立場に則ってほうっておいたらこの有様。 慌てて人道支援という立場で、軍隊を派遣するがあくまで軍事不介入が原則。すべてが後手後手。しかし、 国連防護軍がことなかれとか弱腰ということではない。彼らには出来ることと出来ないことがあるのだ。国連の承認があれば、 ひいては加盟国の賛成があれば、もっと言えば国連加盟国のそれぞれの国民が賛同すれば、出来うる。しかしそれは危険な話でもあるのだ。

 いずれにせよチトーのいうユーゴ人という概念はなくなってしまった。

 まあ、面白いというかグサってくるというか、複雑な映画だ。

 

posted by 森と海 at 23:57 | Comment(2) | TrackBack(0) | Movie(他)
この記事へのコメント
未だにこの映画はおいらもひっかかってる作品。
Posted by tonbori at 2006年09月11日 00:57
これ、突き放していて辛いね。
Posted by 森と海 at 2006年09月11日 22:57
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