2006年12月25日

**祖国という呪縛**

 前々回のエントリー**海と空の境**にて、 ガンダムやらヤマトやら持ち出した挙句、粉飾決算のようなどっから持ってきたんだその話は? とでもいうべき括りをして、意図的にトンずらこいたのは、何を隠そうこのボクです。

 あれからね、アノ文章を書いて以来、ボクの中でも発酵していく考えがあって、 これはでっち上げだとしても書かねばと思わせる何かがあった。もちろんネタとしても言ったモン勝ちだと思うし。tonboriさんhttp://tonbori.exblog.jp/4886938) なんてネタにワザワザ付き合っちゃっているしで、それなりにちゃんとオトしとかないと申し訳ないわけで。

 

 それでだ、何だっけ?そうそう、ガンダム世界では宇宙をそらと呼ぶという話だ。大気圏の延長線上の宇宙という意味合いで、 宇宙をそらと由美かおる読み替えるのはしごく合点がいく。地球連邦に住まう人々なら、空に上がる(宇宙に行く) という表現はごく自然なものであろう。地上に居住する人にとって、その距離・高度こそ違え、空も宇宙も同じ方向にあるのだから。

 ところで前回も触れた〈 めぐりあい宇宙(そら) 〉だが、この作品において一体誰と誰が宇宙(そら)でめぐりあうのであろうか? アムロとララァ?シャアとララァ?それともアムロと待ってくれている人々?なんのこたーない、 ココで類推できる人々とは生粋の地球人ではなく、多くはコロニー生まれコロニー育ちのいわゆるスペースノイドと呼ばれている人たちである。 スペースノイドにとって宇宙とはそらではなく、壁を隔てた外というのが実感ではなかろうか?ファーストの細かい部分はもう覚えていないが、 MS IGLOOにおいてはコロニー生まれのジオンの人々でさえ「戦場は空に移りつつある」 などという地上から見上げるような視線で宇宙を語っている。地上で暮らした経験のないコロニー育ちが、 なにゆえそういう視線を持ち合わせるのか?

 これはトリックである。物語の整合性を鑑みれば、育ちの違う者が同じ表現を用いることは有り得ない。 原作者の意図なのか製作者の意図なのか、それはわからない。が、宇宙をそらと呼ぶことで、地球連邦側・ スペースノイド側双方に重力の呪縛が懸かっていることを意味する。つまりは、 地球の重力を嫌っていた赤い人であっても、深層心理下では重力に引きずられているということなのだ。 新しいスペースノイド(劇中ではニュータイプなどと言い表すが)の出現とは、重力の影響を受けない人々を、 呪縛から開放された人々を指すということであるように思う。

 地球に住む人々・コロニーに住む人々が影響の度合いは違えど、重力の呪縛から逃げ出せないでいる状況は何かに似てはいないだろうか?

 国際連合という組織が'45年に発足されて早60年。現在では加盟192カ国を数える。これほどの国々が加盟していれば、 世界に紛争など起きるはずがないにも関わらず、いまだ火種は残ったままである。 それは加盟国が属する祖国の利益をいまだに追求しつづけているからと言うのは早計だろうか。 新しい枠組みを作りながらも旧態然とした意識を持ちつづけるということは、祖国という呪縛から開放されていないということではなかろうか。 祖国の呪縛を振り切り真の国際人へと昇華することが、ニュータイプの出現ということではあるまいか?

 つまりこうだ。地球人・スペースノイドの意識を似たものにし重力の呪縛からの開放を持ち合わせる人々を待つガンダムと、 地球連合体を目指しつつもいまだ祖国の縛りから抜けることの出来ずにいる現在の地球は構造は違えど中身は一緒ではないかと。 戦争を描いてばかりの御大だが、御大には戦争に対するヘイトが溢れているように思う。それが行き過ぎて生首飛ばす(イデオン) などという暴走が現れるのだと。さすれば、今まで書き連ねたことぐらいは実は御大の中では予定項目であったのかもしれぬ。

 ファーストから20数年、現実の世界では変化が出てきている。NGOという組織で活動する人々に、祖国への帰依は薄い。 彼はニュータイプなのだ。

 

 

 とまあ、憶測をさも真実のように語るのは楽しいなああ。えーと海と陸の境の件ですが、 マジメに考察したtonbori氏には誠に申し訳ないが、あのあれですよ、コメント欄で言い放ったことなんで、最初にオチありき・・・・、 バイストン・ウェルに決まっているでしょうが(爆!!

posted by 森と海 at 23:29 | Comment(7) | TrackBack(0) | hoge
この記事へのコメント
うんにゃーマジメじゃないよー(笑)
ちょっとドキっとしたけどねー。
けど『バイストン・ウェル』で落とすのは勿体無いので別方向にもっていったんだよねー。
しかも『プラネテス』はサンライズ製作だし(これマジ)
しかも富野御大バイストン・ウェルで結局物語をうまく落とせなかったんだよね。
なので後年のZやZZがファースト世代に受け入れられず逆シャアが一部ですごく受け入れられたりその後『Z』が再評価されちゃったり。
その事に関しては実相寺さんのこととか色々思うトコあるけどまた覚えてたら(苦笑)
長コメ、スマソ<(_ _)>
Posted by tonbori at 2006年12月25日 23:54
突然で申しわけありません。現在2006年の映画ベストテンを選ぶ企画「日本インターネット映画大賞」を開催中です。投票に御参加いただくようよろしくお願いいたします。なお、日本インターネット映画大賞のURLはhttp://www.mirai.ne.jp/~abc/movieawards/kontents/index.htmlです。
Posted by 日本インターネット映画大賞 at 2006年12月26日 06:23
>tonboriサマ
あっ、やっぱりそうだよね。バイストン・ウェルは最初に頭に浮かぶよね。あとは水平線の終わりについての考察が待ちどうしかったりして(笑。

>日本インターネット映画大将サマ
常々思うのだけど、映画なんて物は好みに合うか合わないかそれだけのものだと思うんですけどねえ。まあ、再び見に来ることはないだろうから独り言の範疇ですが。
Posted by 森と海 at 2006年12月26日 21:33
だーかーらー、楽々と書くなよお。くそお。
そのあたりのことはいつか書きたい物件として、抽斗にしまって綺麗に忘れとるのに。
ただ私はネタとして考えるなら、ニュータイプってのは理想主義の皮被った単なる選民思想で、結果的にはどっちにせよジェノサイドだなって気がするのよ。基本的に御大は「俺以外みんな氏ね」じゃねっか?(爆)

Posted by acoyo at 2006年12月28日 16:14
>acoサマ
おっしゃる通り「みんな死んじゃえっ!」で間違いない。ひょっとして他人が嫌いなのかもしれぬ。人によってはメジャー調の曲が好きな人もいるし、果てしなくマイナー調の曲が好きな人もいる。だから皆殺しが好きな人だっているんだよ、きっと。

・・・つっても妄想ですから。
Posted by 森と海 at 2006年12月28日 21:12
ほんとはね、トミノ御大は人が好きなんだけども心底信じきれない、その部分屈折しててしかもマジメなもんで全部律儀に見せようとする。予定調和なんて嘘っぱちとか思いつつもでも人の地力を信じたい。本人もそれを自覚しているからあーゆう作風になっちゃう。
ザブングルでさえもあの結末だもん。まあティンプを殺さなかったのはエライけどツメがいかにも御大だった。
Posted by tonbori at 2006年12月29日 00:12
>tonboriサマ
ホントはトミノ御大のことなんか全然知らないのだけど、・・・戦争モノでハッピーエンドなんてうそ臭いので皆殺しもまたおかし。途中で主役が交代するっていう作品もいいなあ。
Posted by 森と海 at 2006年12月31日 23:21
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