2006年12月28日

**巨大な力に個は無力なのか〈 シンドラーのリスト 〉**

 聖なる夜には、現代の聖人のお話が最適か?と思って見ましたよ〈 シンドラーのリスト 〉。

 明るくなれるかと思ったら、なんのことはない暗澹たる気分にさせられてしまった。アカデミー印なのになぁ。

 

 確かに、私財を投げ打って数千人のユダヤ人の命を救ったオスカー・シンドラーの行動は尊い。しかしながら、 アウシュビッツ送りになることと、シンドラーの工場で生き延びることの差異は僅かでしかない。

 それは、シンドラー(リーアム・ニーソン)とシュターン(ベン・キングスレー) に氏名を正確に覚えられていたかどうかということなのだ(リスト作成には姓名の記述が必要)。

 不幸にして2人と関わることがなかった人々(氏名を覚えてもらえなかった人々)は収容され、その多く(百数十万人とも) は戻ってこれなかった。百数十万人に対して数千人ですよ。一人で数千人を救ったと考えるか、 百数十万人のうちの数千人しか救えなかったと考えるか?感動的な作品と手放しで賞賛できる素直な人は少なかろうとは思いますが、 ボクは暗い気持ちになった。個の力は、巨大な力の前ではいかに無力なのかと。

 凶行を続ける巨大な力を倒すには、これまた巨大な力が必要なのか?実質的に収容所を解放したのはソ連軍だが、 これもあくまで連合軍という枠組みがあってこそ。しかし、その凶行を指揮した『ボヘミアの伍長』は、戦死することも、 捕らえられて戦争裁判にかけられることもなく、最後は自殺である。なんだなんだ?巨大な力は内部の躓きを待つしかないか?

 今現在、巨大な力を振るっている某国がある。「巨大な力を正常化するのは、内側の変化を待つしかないのよ。判る?」と、 新宿の母ならぬ細木節で予言めいたことを言ってみるのであった。なんがよく分かんないけど。

 

posted by 森と海 at 23:03 | Comment(4) | TrackBack(0) | Movie(米)
この記事へのコメント
私も、
>百数十万人に対して数千人ですよ。一人で数千人を救ったと考えるか、百数十万人のうちの数千人しか救えなかったと考えるか?
とかまず考える方です。そして、それをきっちり弁えた上で、「それでも」数千人「だけは」救えた、と考えるしかないなと思っています。
んで、スピルバーグは、そういうこと考えないヒトだと思う。だから、「ジョーズ」までで後は「インディ」でもやっててくれりゃいいのにと思うの。
Posted by acoyo at 2006年12月29日 13:54
でも、アカデミー受賞なんでしょ?
ヒーローの話ではなくレジスタンスの話でアカデミー受賞。
アカデミー賞の審査委員って、根っこはやっぱり〇〇〇なんだね。つくづく思う。金融だけにしときなって。
Posted by 森と海 at 2006年12月31日 23:30
あけましておめでとうさんでござります。

ということでシンドラーさんなんだけど翻って考えるとスピがいろいろあって絶対に周りから言われるのにこれを撮ったというのはある意味凄いことだしまだ観てないんだけど『ミュンヘン』(原作は読んだ。これもある意味凄い暗澹たる気分になる。)を撮ったこともあわせ考えると結構凄いことかも。
なんで最近はそういう出自の部分でのスピとギークの部分のスピが分かれて映画を作っている気がするってのは深読みしすぎ?
Posted by tonbori at 2007年01月02日 00:02
ボク思うのだけど、スピルバーグって一貫して大きな力に翻弄される1個人を描きつづけているように感じる。その結果、ある作品は個がズタズタになり、ある作品はなんとか出し抜けて、という風に。でここで問題は、何故撮ったのかではなく、何故(アカデミーに)評価されたのかと言うことが引っ掛かっております。
Posted by 森と海 at 2007年01月02日 17:15
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