2007年05月31日

**〈 Shall We ダンス? 〉と〈 Shall We Dance? 〉**

 さてさて、周防監督の〈 Shall We ダンス? 〉とピーター・チェルソム監督の〈 Shall We Dance? 〉。 日米社交ダンス対決。彼方ならどっち?

 

 この間、地上波でリメイク米版で流れてて、ちょこっとだけ見たら、意外といけてるけど「何なんだこの展開?」 という驚きに満ちてしまったので、2つをジックリ比べてみようという試み。

 ブッちゃけ、リメイクとして「よくまあ、ここまで忠実に作ったなあ」というくらいキチンと場面を拾っている。ヒッチコックとガス・ ヴァン・サントの〈 サイコ 〉ぐらい忠実。草刈民代さんが、「その忠実さに感動して涙した」という逸話も頷ける。「俺の映画に出たときには泣かなかった癖に」と周防監督に突っ込まれたらしい(笑。

 ただし、舞台をアメリカに移した事によって、若干の、いや大きな設定変更が行なわれている。主人公杉山(役所)が経理課の課長から、 遺言専門の弁護士ジョン(ギヤ)に変わっている。この職業の変更は大きい。1リーマンでローンを背負ってくたびれた中年男性が、 経済的には全く困っていないナイスミドルに変わってしまっては、バックボーンやら社会的位置さえ全然違いますから。 日本人にとってデスクワークのリーマンなら経理課勤務ってかなりリアルですけど、アメリカンな人にはピンとこないのでしょうか? 役者に触れたんでついでに言っとくと、役所広司さんて格好いいことは格好いいけど、ドロ臭さとか不器用さも滲ませている人なんで、 本作前半のネトっとした「スケベ根性」具合を発揮するには絶好の人選と思う。そこいくと、リチャード・ ギアって幾つになっても芯のないふやけた顔(甘い顔ともいう)なんで、通り一辺倒に(サクっと言うと軽く)しか見えない。素のギヤ自体が、 インドで有罪のスケベ親父なんですけども(爆。やはり主人公の持ち合わせるモチベーションに差が有りすぎのように思う。

 もうちょっと役者のチョイスについて触れとくと、これボクの想像なんだけど、キャスティングDに対して出した要望って、「豊子 (渡辺えり子)さんはベット・ミドラーの感じで。田中(田口浩正)はフォレスト・ウィティカーの泣きで。」ってことじゃなかったのかいな? もうマンマだ。キャスティングDは要望に忠実なんだけど、もうちょっと考えろ。似た人はあくまで似た人だ。模造に過ぎないゾ。 それと肝心の青木(竹中直人)さんの替わりが、スタンリー・トゥッチというのもかなり弱い。禿げとスキンヘッドは似ているけど違うのだよ。 禿げとは額が上がって猫っ毛が申し訳ない程度に乗っかり、テッペンは地肌が見えるくらいがベストなんだ。スキンヘッドは、 その髪型にした理由はともあれ(ex.ブルース・ウィリス)、ファッションなんだ。笑えないって。まあそれ以上に、「笑いながら怒る人」 で世に出た竹中に顔のインパクトに勝てるはずも無い。

 主役杉山もしくはジョンの話に戻るが、先ほど触れたように、杉山は物語前半は「スケベ根性」もしくは「憧れ」が滲む。 電車の窓から見上げて舞(草刈民代)を探す杉山、レッスンのふとした合間に度々視線を送る杉山、根が小心なだけに窃視に近いくらいイタイ。 それに比べれば、ジョンの方は余裕がある。口説くのも杉山のようにオドオドしてはいない。金銭的にも余裕があるので、レッスン料を聞いて 「結構しますね」なんて小市民なことは言わない。あっ、今ボク小市民って言った?そうこの言葉、杉山は社会の割と下部に位置する小市民、 ジョンはある程度成功した中の上ぐらいの位置、この高低差が大きく影響を及ぼす。

 さて、ヒロインである。岸川舞(草刈民代)とポリーナ(ジェニファー・ロペス)、役者としては、もちろんロペスの方が役者である。 草刈さんはなぁー、森山周一郎扮する父とパートナーの件で喧々諤々するんだけども、 興奮しているはずなのに拳を強く握ったり服を掴んだりもせず、体の前で緩やかな孤を描く形で手の甲を組んだまま。 ちょうどバレエの基本ポーズの様。「あんたはバレリーナかっ!」ってツッコまれそう。いやバレリーナなんですけど・・・(笑。ざっくり言えばダイコンだよね。しかし、何の気なしにクルリと舞うその姿は、 爪の先にまで神経行き届いていて美しい。ホンモノのオーラが圧倒的存在感を示している。周防さんの狙いなんでしょうなあ。 そしてその乏しい表情は、ホンモノのオーラも手伝ってお姫様に相応しい気高さを有しているように思う。小市民平民には恐れ多いのですよ、彼女は。

 ジェニロペは演技は手堅い。が、方向は違うようで、お姫様というよりもアスリートとして演じているようだ。 「ジェニロペはプエルトリカンの血を引いているからお姫様は無理」などと言うほど米国社会は差別的ではなかろうが、 どう見ても気高いところに居るようではない。手に届かないというよりオトしにくい風である。 ジョンが社会的に中の上という位置にあることから、この2人には高低差があまり感じられず、どちらかというと横方向のズレ、 つまり別の社会(コミュニティ)に属しているだけの距離感でしかない。ジョンが踏ん張れば近づける(オトせる)程度でしかないのが見て取れる。

 日米の2人の高低差の違いが、ラストダンスにおいて決定的に差を生み出す。ジョンとポリーナのダンスは、 別社会に所属する者同士が相互理解を深めた結果の友愛のダンスであり、杉山と舞の場合は、変な言い方をすれば、 身分を越えてダンスを愛する者同士の互いの尊敬の現れなのである。封建社会を経験した国としなかった移民の国の違い、 と言うのは早計だろうか?民族・文化の違いだとはいえ、ラストダンスに含まれるその意味の大きさからして日本版の方が感動的だという意見は、あくまで日本人だけのものなのか?それはアメリカンな人にも尋ねてみたいところだ。

 えっ、ボク?ボクは日本人なんで、やっぱり周防さんの方がピンとくるなあ。

 

 お節介ついてに言っとくと、オッちゃん達の気持ちは分かる気持ちは分かるが、明日からダンス教室に通おうなんて思わないように。痴漢に間違われて「それでもボクはやってない」なんて呟くことになるんだから。 現実はキビシイのさ。

posted by 森と海 at 00:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie(邦)
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