2004年09月12日

**塚本晋也監督は真性の変態だ!**

 なんだこれは!いたってマトモ。  っていうか、愛が満ち溢れているじゃないか。  『殺し屋1』冒頭部分において、自前の白濁液を画面に披露した人と同一人物とは思えん。  今日は、R15です。おこちゃまは遠慮してね。
 〈六月の蛇 A SNAKE OF JUNE〉のことですよ。六月といえば、ジメジメして体中に絡み付くような湿気、蛇ったら貴方、フロイトの言うところの弾痕の象徴ですぜ。題名からして、心してかかれと言ってるようなものです。  ほら映画って体調によっては悪影響を及ぼすものがあるじゃないですか。負の精神状態のときにネガティブなもの見ちゃうと、立ち直りにくくなったり。そうゆう意味で、観る機会を窺っていました。  第一部♀の恥辱プレイ、脅迫者道郎は思ったよりあっさりと「もういいでしょう」と開放し、ネタのネガも返してしまう。が、りん子はトイレで示威にふけって、「本当にやりたいこと」への衝動を大きくしてしまう。示威にふけっても代償行為であってどうしようもないことなのに(ダンナと肌を合わせたいだけなんだから)。  監督はここまでをブツ撮りのごとく、エロの一歩手前ギリギリに留めて注意深く描く。  第2部♂神経症気味のダンナ重彦。執拗に繰り返される配水管掃除、しつこい手洗い、帰宅拒否。セックス拒否、いや接触恐怖がみてとれる。したいが出来ないジレンマの塊だ。  したいカミサンとできないダンナに、ストーカーカメラマンが混ざるとどうなるのか?  土砂降りの雨の中、道郎とりん子の「大きなカメラと大きなストロボ」を使った激しいFUCK。覗いてた重彦も、示威で参加してるので、都合3Pの様相を呈している。精神的3Pなんて、撮る監督は、ほかにいるかぁ?しかも、りん子はリモコンバイブで吼えてるんだぞ。それでいて2人の男は距離さえ詰められない。やっぱり変態だ。  変態は変態でも監督がただの変態ではないことは、そのあと分かる。皆が果てたあとの、りん子の神々しいこと、道郎はカメラをライカに持ち替える。美しいものはライカで撮らなきゃ。  物語は、監督の定番”黒触手”や”秘密クラブ”を経由してラストに流れこむ(ここら辺はご愛嬌)。  ようやく、夫婦の成功にいたるのだが、このときすでに道郎は逝ってしまい、りん子はガンの転移が懸念され、重彦はやっと気付いた大切な人を失う悲しみを抱えている。  こんなに愛が満ち溢れているにもかかわらず悲しい終焉。  ずぅーっと、寸止めばかりっじゃないか!映画の最初から最後まで寸止め。登場人物の3人が3人とも、一癖あっておかしくて、弾けてもおかしくないのに弾けない。おまけに観てる観客にも、どれかの感情を振り切らせたいのにそれをさせないようにしている。  「うわっ、エロエロ」と思いたいじゃない。  「きれいやなぁ」と思いたいじゃない。  「えかったなや」と思いたいじゃない。  監督のオアズケプレイにまんまと乗っかってしまったボクがいた。  いやしかしこれは「買い」だ。買っても大画面・大音量では、近所の手前観ることは出来ないが(笑。
posted by 森と海 at 19:25 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie(邦)
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