2005年08月04日

**なんとも訳がワカラナイと嘆く声が聞こえそうだ**

 邦画の嫌いな理由でよく言われるのが、「抽象的過ぎてなんだかよくわからない?」という意見だ。

 ごもっとも。確かに、画面だけならいざ知らず、云わんとすることまで白い靄がかかったような映画が、前世紀末には多かった。 前衛的とでもいうかなんというか・・・表現に困るような。

 先日、黒沢清監督の恐怖伝播ホラーと銘打って、〈回路〉を取り上げたが、今回は〈カリスマ〉を挙げちゃうぞ。こいつは、前述の 「なにが言いたいのか分からん」映画なのだが、よくよく観ると傑作かもしれない。

CHARISMA-0  人質事件で、被疑者と人質の両方を救おうとして結果的に両方を死なせてしまった藪池(役所広司) は、 無期限の休暇を言い渡され、ふとしたことで森に足を踏み入れる。その森は、植物ハンターと、” カリスマ”と呼ばれる木を護る青年と、 その木を生態系を守る見地から切り倒そうとする学者という3つの危ういバランスシートの上に成り立っていた。”カリスマ” の木とは根から毒素を分泌し、森の他の植物を枯らしてしまい、自身だけが成長するという極めて珍しい木であったのだ。 一人の闖入者の出現で、そのバランスは少しづつ崩れ始めるのであった。

 うーん、なんだか分かったようで分からない話だ。ボクの文章力が弱いということを差し引いても、この物語自体がそういう話なのだ。 まあ、順を追って紐解いてみるか。

 まず、画像のメモ、これは最初の人質事件の被疑者からの要求書である。「うわっ、逝っちゃってる!」と云わないように。事実、 刑事部長はこの被疑者を「頭のおかしい」と言っているのだが。この事件の後、藪池は森に入る。その森は、” カリスマ”の木によって、”生かす力”と”殺す力”がせめぎあっていた。学者はいう。”2つの力は同じ力”だと。藪池は、”両方とも生かしたい”というが、学者は” 危険な木だから枯らさねば” と森の水の供給源に毒を散布する。一方、”カリスマ”の木を護る青年は、”殺しあうのが自然である” とし、人の手による干渉を拒み続ける。もう1つの勢力、植物ハンターたちは、珍しいというだけでこの木を採取しようと試みている。 この軋轢のなか、ついに”カリスマ”の木は、掘り上げられ燃やされてしまう。その瞬間、 藪池だけが認知するなかで、新しい古木が出現する。青年はその木は”カリスマ”ではないといい、 森を出る決意をする。植物ハンターはそれでもその木を我が物にしようとする。植物ハンターの作業員たちは、管理者を殺して森を出ようとする。 学者は、”カリスマ”ではないにも関わらず切り倒そうとする。それぞれが己のエゴ丸出しに行動し始める。 それに対して藪池は、あくまでもどちらに付くでもなく中立でいる。

 「世界の法則を回復せよ」とは、「真の自由を開放せよ」 ということであり、そこにはエゴイズムさえも自由ということを意味する。混沌(カオス)の世界である。 木の”カリスマ”は森に生き・死にの自由な世界を作り出していたが、 森に居た人々を混沌(カオス)の世界に開放したのはいったい何なのか? 皆がエゴ剥き出しの生に生き始めたことと、”カリスマ”の木が倒れたことに関連はあるのか?

 何のことはない、”カリスマ”の木が倒れたとき”カリスマ” の力の移動が行われたのだ。”カリスマ” のは藪池に移ったのである。”カリスマ”となった藪池は、 人々を真の自由へ開放したのだ。そして、藪池は森を出て、町に戻ってゆく。すでに町は混沌(カオス)だ。 藪池は最初の要求どおり世界の法則を回復した。良いか悪いかは別として。

 これはあくまでボク流の解釈だ。異論を唱える人も居るだろう。そのくらい、いろいろなことを感じさせる作品なんだ。 しかし世界の法則を回復⇒混沌(カオス)であるなら、それは怖い話だぞ。 自由とはこれほど怖いことなのか!観ている側に対しても毒吐きまくりだ。

 こんな映画を作り上げた黒沢清監督こそ”カリスマ”なのだろう。

 
 
posted by 森と海 at 23:40 | Comment(5) | TrackBack(0) | Movie(邦)
この記事へのコメント
黒沢清って、そりゃ叩けばまだ埃も出るんだけど、「なにが言いたいのか分からん」色が薄いなと、つうか、「それでいいわけねえだろ」って気があるから、それで最初、期待したってとこがあるんだわ。
>自由とはこれほど怖いことなのか!
あ、そういうことかと今が来て腑に落ちてしまいやした。目ウロコ。
ところでこちらの小太郎様、「菩薩」とかおっしゃってますぜ。
Posted by acoyo at 2005年08月05日 23:21
ふむなるほど。コスモスに対するカオスではなく常態がカオスでありそれがコスモスなのか・・・・と書いてるおいらの方がわけワカメ(苦笑)
けれど人の奥にあるものに触れようとしている気がするな黒沢さんは。
Posted by tonbori at 2005年08月06日 00:46
>acoyoサマ
心の自由とか救済とか、そんなネタばっかりだもんな、この人。〈回路〉も考えようによっちゃあ、孤独からの逃亡だし(逃げ切れないけど)。
>tonbori堂サマ
でも、一歩間違えると黒沢さんて反社会性と取られてもしょうがないくらいギリギリの線をねらっている。こういう人をほんとに危ない人というんじゃないかと思う。
Posted by forestsea(主) at 2005年08月07日 21:59
映画とか白い前衛や、映画や前世紀とかを監督されたつもりだった。


Posted by BlogPetの小太郎 at 2005年08月08日 09:21
小太郎よ。
<カリスマ>にコメント残すなんざ、いい度胸してるじゃねーか。
Posted by forestsea(主) at 2005年08月08日 22:00
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