2005年08月30日

**〈誰も知らない〉はホントにノーマークだった**

『この日から、誰にも知られることのない4人の子供たちだけの"漂流生活"が始まった―――。』

 これが、公式HPのstoryの結びの一文である。 正直、カンヌで絶賛されたとはいえ、あまり見たいとは思わなかった。母親が子供を置き去りにした話だし、 しかも実話に沿ってるというじゃない。悲しみとか怒りとかいうような感情にさいなまれそうな映画なんて苦手なんだ。 基本的にバカ映画専門だしボクは。ところが、denkihanabiさんのこのエントリーを読むとそうじゃないという。

 その通りだった。

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 まさに、少年少女漂流記さながらだった。母親けい子(YOU) がいなくなると子供たちだけの生活は、最初こそ規則正しいものであったが、段々と一個の生き物としての剥き出しの自由が膨れ上がってくる。 長女京子は洗濯をしなくなり、部屋の掃除や流しの片付けも疎かになってくる。 「下の兄弟たちの面倒を見て」と言いつけられていた長男も、 自分だけ自由に戸外に出られることをいいことに同世代の子らと遊ぶ毎日。 次男と次女ゆきは、家の中でただ惰性で時間を費やしていく。 もちろんその途中には、明は母親の昔の男の所に生活費の工面に行ったりもするが、それも冒険の範疇。 ひょっとしてこのままずっと時間は過ぎてゆくのではないかと思わせる何の束縛もない生活だった。

 このような生活を強いることになったのは母親けい子のせいではあるが、 このけい子演じるのがYOUであるためか強くは憎めない。 せいぜいバカでいい加減で自分勝手な女としか思えない。そんなの今日日いっぱい居るしね。是枝裕和監督は、 子供たちに演技を強いなかったことはもとより、YOUにさえも演技らしい演技を求めなかったようだ。 観ているとバラエティ番組で目にするタレントYOU(元FAIRCHILD)にしか見えない。 バラエティ番組のイメージそのままでこの鬼畜とも言える母親を表している。同じ鬼畜な母親でも、 岩下志麻が演じたお梅のようには憎めないのだ。この時点で、この母親を糾弾する気はまったくなくなってしまった。いわば、 「しょうーがねー女だなぁ」ぐらいの非難である。もちろん実際の事件の母親は、それ相応の責任を負うべきだという気持ちは変わらない。 あくまでも映画だけの感想だ。

 先に触れたように演技面の指導は子供たち、特に 役の木村飛影、 ゆき役の清水萌々子に大しては自由にさせていたようで、かなりカメラが寄っているにも関わらず、 素のまんまじゃないのと思わせる自然さだ。自分とかなり親しい、例えば親戚の小さな子(自分の子とは違うかな) の一人遊びを覗き込んでいるかのようだ。ここまで慣れるには時間がかかったのだろうなと思ってしまう。天才子役と言われるダコタ・ ファニング(ちっやい大人の女優)とは、全く次元の違う演技?だと思う。子供たちだけの漂流生活を映し出すには自然が一番。

 そんな漂流生活にも事件は起こる。 末娘のゆきがちょっとした事故で(椅子から落ちて)死んでしまう。もしも監督が泣かせようと思うのなら、 ここがその泣かせどころなのだ。が、監督は抑えに抑えて、明の抑えきれない嗚咽という形で、静かな悲しみとしている。 その悲しみも羽田に行って、埋葬して、帰ってくるモノレールの中まで。漂流生活にトラブルは付き物、何時までもくよくよしては居られない、 それより今日の生活だとばかりに元の必死で自由な暮らしに戻ってゆく。まるで永遠に続く生活であるかのように。

 ざくっと簡単に感想を漏らせば、 ボクはこのけい子に怒るよりもの危うさにハラハラした。 この子は箍が外れるとぴゅーとどこかに行ってしまいそうな感じがしてね。行くだけの力もありそうで、 それは間違いなくけい子から受け継いだものだろう。この映画、実話に囚われたり、 頭で言ったような悲しみとか怒りの先入観で観ると、なんとも気が抜けたサイダーのようかもしれない。意気込んで感動しようと思っていると、 足をすくわれますから。

posted by 森と海 at 23:19 | Comment(0) | TrackBack(0) | Movie(邦)
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