いつものように、「DVDでも借りようかなー。久しぶりに見てみようか、最近話題だし、あの映画は本当に魅惑だものなあ、 〈グレアム・ヤング毒殺日記 〉!(不謹慎。だが映画として不思議な魅力があるのは本当)」と、棚をグルグル探したが見つからなかった。 その勢いのままに、邦画の棚に目を移すと、ありました。
川島雄三監督最高傑作、いや戦後最高の喜劇といってもいい〈 幕末太陽傳 〉が!!
ボクは本来、喜劇(コメディ)の分野には懐疑的だ。時事問題や背景について言葉や行動で可笑しさを追求するもの (パロディなどはその典型)は、新鮮なうちが勝負だと思う。ネタが新しければ新しいほど可笑しい。できれば同時進行ぐらい新しい方がいい。 芸人で言えば、ひと昔前のビートたけし系。舌の上で、ネタが踊る程の美味しさ。しかし、旬を過ぎると、急速に旨みを失ってゆく。 〈華氏911 〉にしたって〈 チーム・アメリカ 〉にしたって新鮮さが勝負の分かれ目。この2つの場合は、 的である某国が一向に変わりそうにもないことが唯一の救い。
逆に、人物の動きそのもので可笑しさを滲ませようとするもの、古きよき無声映画のきら星達がこれに当たる。老若男女・ 国籍を問わず観た人すべてに温かいものを与えてくれる。ドリフのカトちゃんの動き・芸のようだ。ほんとのこと言うと、 例えばチャップリンの作品なんて一見可笑しいのだけれど、その裏にはどす黒い持て余しそうな感情が伴っていることなどは、 大人になってわかることなのだが。それはともかく、ジックリ煮込んだ鍋物のように、少々古くたって上手いものは旨いのである。が、しかし、 新鮮さが無い分だけ、爆発的な面白みはない。じわーっとくる滋味のようなもの。
で、〈 幕末太陽傳 〉であるが、こいつはトーキーである。が、しかし、フランキー堺の走りは、無声映画のそれである。 擬音を付けるとするならば、あの走りは「ピュ―」である。風のように、女郎屋の階段を、墓場を抜けた海岸端を文字通り「ピュ―」 と走り抜ける。上に書いたゴタクなんざ、吹っ飛ばすような「ピュ―」である。ゴタクを言うか言わぬかの間で、 「四の五の言ってる場合じゃないんでございますのよ」と、佐平次(フランキー)は駆け抜ける。しかも、走りだけじゃない、頭が切れるの、 佐平次は。あれこれゴタクを並べる輩を、口から生まれてきた異人かのように、その聡明な頭脳でうっちゃる。 物語からそうとうの距離をおいて眺めてみれば、それはまさしく隣りの狂人そのものだが、近づいちゃもうイケネーや、 輩と一緒になって土俵の外に投げ捨てられる。その転がされる感覚が、なぜか無性に心地いい。
で、なにが言いたいかって?
面白いの!ただし、文無しで女郎屋で遊んだ挙句の居残り稼業を理解できるのは、日本人だけだろうなあ(除く快楽亭ブラック、 落語家だし)。最低でも、付け馬の意味ぐらい理解できる人推奨。
でもそんな能書きはともかくやっぱ面白いよねえ。
斜に構えた部分は、フランキー堺氏の地の部分と思われ。キザだったもんフランキーさん。