ハイ、またもや古い邦画でございます。
座頭市シリーズのほぼ終盤、勝プロが東宝育ちの2つの才能を持ち込んだ夢の企画でございます。
勝新さんが招いた才能とは、1つは岡本喜八という”普通のことを普通に撮れない”
どこかひねくれているひねった物語を写し取る監督と、
黒澤映画以来野放図な武士といえばこの人を差し置いて挙げられない俳優三船敏郎さんである。最初に企画ありである。
「三船さんの用心棒とオレの座頭市が出会ったら、面白いモンが出来るんじゃねーかな?」 と言ったかどうかは定かでないが、 面白そうだと思うものをなんのためらいもなく決めてしまうなんて、なんとも勝新さんらしいと思う。ヘタすりゃ、自分(座頭市) が喰われてしまう可能性だってあろうに。しかも、そんな映画に岡本喜八さんを起用するというのもなかなかしたたかだ。 岡本監督なら、「やれる」と読んでいたのだろう。というか、ほかの監督だったら、遠慮するか、 しり込みするかのどちらかだろうて。

ココでの座頭市は、第一作の真面目で堅い感じから、シリーズ中盤のコミカルな人情屋というキャラクターの変遷を経て、 コミカルなんだけど奥の方に危険なものが眠っているというところにまで変わってきている。結局はお金好きだったり。一方、用心棒 (と言ってもココでは佐々大作という名。○○四十郎ではない)はというと、〈 用心棒 〉・〈 椿三十郎 〉 にも通ずる雇い主をからかったり仕事をサボったりのふざけた浪人である。もうまんま!
2人の太刀筋はというと、座頭市はシリーズ中冴え渡っていた一太刀で斬るという居合は身を潜め、 自身もボロボロになりながらも複数の相手を倒すスタイルに変わっている。反対に、用心棒の方は、直線的に相手をねじ伏せるような剛の剣。 座頭市の剣の変化は、用心棒の剛剣とのバランスなのだろう。あ、忘れていた、2人の間に割ってはいる男がいた。岸田森演じる九頭竜である。 2連装の短筒を得物とする九頭竜は、岸田森さんの青白くて縦長の顔とも相まって、とある誰か(卯之助)を思い出させる。 九頭竜と用心棒の最後の決闘は、用心棒が九頭竜の刀を上段で受けといて、脇差を逆手に抜いてそのまま斬り上げるというもの。こりゃ、 九頭竜役は仲代達也さんがやるはずだったんだよ!この頃にそんなことは出来ないか。
よく言われる話で、”黒澤は交響曲で、岡本はモダン・ジャズ”と、2大監督の演出を音楽に喩えて比較するが、〈 座頭市と用心棒 〉 を観るとその意味を理解できそうな気がする。座頭市と用心棒という2つの異なった個性がぶつかる様は、 さしずめ2人のジャズメンがインプロヴィゼーションで互いのかけ合うかのようだ。ジャズにおいても、お互いにアドリブをブチかましていても、 最低限のキマリ事はある。お互いのメロディを発展させていくとか、このフレーズをやったらインタープレイは終わりとか。〈 座頭市と用心棒〉 にもそんな風なルールはある。用心棒が市を指して「バケモノ」とののしったら、 市は「ケダモノ」と返す。これ、キマリ! やっぱりジャズだわ(ちなみに脚本は岡本喜八 / 吉田哲郎。 岡本喜八監督は脚本から仕込んでいたのだった。)。

スコアもちゃんとしてその上で即興も出来ちゃうというわけです。
ホンの書けない監督って言うのも、どうかと思いますが(笑・・・あッ居た、宇多田のダンナ!外注らしい)。パロディなのにパロディを感じさせない堂々たる演出には、尻尾を巻きます。だってそれを忘れさせるぐらい面白いんだもん。
ジミー・ウォングとの対決はこれに比べたら挨拶っぽい感じでしたね。
アドリブ(インプロビゼーション)ができるのは、「本質」がわかっているからでしょうね。音楽でもそれがわかっていると楽だし、教科書通りにしか楽器を習ってない方みたいにわかっていないと何をやっていいのか理解できてないですから。
まあ、実際、へたくそな歌をプロの前で歌って、友人に「チャレンジャー」の称号をいただいたこともありましたが(笑。